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2009.12.14

[歌舞伎]十二月歌舞伎座 昼の部

 「操り三番叟」のタテ三味線は杵屋栄十郎師。パソコン通信で知り合ったお友達で、私の三味線の先生でもあります(あ、今年一度もお稽古してない……)。知り合った当初から長唄三味線方として歌舞伎の舞台を勤めるプロで、もう10年以上舞台を拝見してることになります。その間、次第次第にお役目が重くなり……。
 昭和の歌舞伎座での正面物初タテ、おめでとうございます! いつか平成の歌舞伎座で、「勧進帳」のタテを拝聴できる日が来ることを、今から心待ちにしています。


12月14日(月)11時
歌舞伎座
3階1列12番

「操り三番叟」
 翁の獅童、顔は立派。舞は拙く、所作も形も決まりません。
 千歳の鶴松、きっちり行儀よく踊っているが、何かが足りない感じ。清新さ、かなぁ。この演目のこの役に要求される清らかさ、とでも言いましょうか。
 三番叟の勘太郎、踊りのうまさはいつもの通り。ワザを見せる踊りになってます、良くも悪くも。人形の振りがリアルで、三番叟の心が置き去りになってる感があるのが残念。おおらかさ、人形らしい拙さ、古風さ、そして、何より三番叟のめでたさがもっと欲しいです。勘太郎ならできるはずなので。

「新版歌祭文」野崎村
 これは……お光の福助がお光じゃないです。顔で芝居し過ぎてるし、セリフも所作も媚びが強くて、都会の娘みたいだし。
 一方、お染の孝太郎もしなを作り過ぎ。商家のお嬢様のおっとりした気品が感じられません。間を持てず、芝居を急ぐのも何だかなぁ。
 板挟みの久松に同情してしまいました。

「身替座禅」
 勘三郎、幕開きの長ゼリフで喉をやられてるのがありありと。大丈夫かと心配しましたが、最後まできっちり演じました。このあたりはさすがです。
 玉の井の三津五郎。この役、不細工を強調するために「おかめ」のような化粧をすることが多いのですが、上品できれいな顔をつくってきました。セリフも穏やかに女性らしく、所作もキレイ。が、所々でドスのきいた声を出し、身体が力んで、悋気した時の恐ろしさをチラッと見せます。
 これに応じるように、右京の勘三郎も終始羽目を外さず品のある芝居。それで可笑しく見せてくれました。勘三郎、三津五郎のウデですね。

 太郎冠者の染五郎は可もなく不可もなく。
 侍女の巳之助、新悟は行儀よく品よく、いい感じ。踊りもしっかりしてました。

 客席の大爆笑を誘うこともできる演目ですが、今回のように程よく気持ちよく笑える「身替座禅」というのもいいものです。

宮藤官九郎 作・演出
「大江戸りびんぐでっど」

 下品で悪趣味で後味の悪いのが、クドカンこと宮藤官九郎の作風です。実際、初日以来悪評フンプン。
 覚悟を決めて見物してみれば、恐れていたほど後味悪くはありませんでした。悪趣味ではありましたが。
 どんだけひどい想像してたんだ、って話でしょうか。それとも、初日からマイルド方向に演出が変わってきてるのでしょうか。

 感じたことを掻い摘んで。

 この芝居、歌舞伎役者でやる必然があるのでしょうか。古田新太や池田成志などクドカンの舞台でお馴染みの役者を集めて、新橋演舞場(新宿コマがあればねぇ……)でやればいいような気がします。その方がもっと悪趣味に過激にできて、ずっと面白くなるのでは?

 三津五郎の使い方に感心しました。この人の芸の力を生かしつつ、既成のイメージを上手に裏切る役になってます。三津五郎をうまく使える作者・演出家はなかなかいないのですが、これは面白かったです。
 ただ、それ以外は、総じて役者の使い方が勿体ないというか、あちこちで役を入れ替えてもよさそうに見えます。両方見たい、でなく、どっちでもいい、という風に。だから、歌舞伎役者でなくても……と思っちゃうのでしょうね。

 ゾンビに迫られ、「私はまだ生きたいの」と叫びつつ袖に消えていった小山三。大正9年生まれ御年89歳の娘姿が可愛くて。笑いました。和みました。
 まだまだ長生きして、新・歌舞伎座の舞台に立って下さい。勘太郎の息子の初舞台、顔つくって送り出してやって下さい。
 舞台写真なんてほとんど買わないのですが、娘姿の小山三の写真、2枚も買っちゃいました。ここで紹介できないのが残念です。

 「りびんぐでっど」」=「ハケン」という見立ては、思いつきレベルの社会風刺なのか、よく練った上での単なるエンタメなのか、もう少しじっくり考えてみます。

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コメント

バケラッタさん

 コメントありがとうございます。
 最初のを読んだだけで、「大江戸りびんぐでっど」の話と分かりますよん。もちろん。

 舞台稽古の段階でご覧になったんですね。私が観たのは公演半ばで(ちょうど中日かな?)、バケラッタさんの仰るような「歌舞伎座のお客さん」向けに細かく手直ししたのではないかと感じたのですけれど、実際はどうなのでしょうね。
 歌舞伎座では前代未聞の例のブツを「好感度は大事だ~!」って投げ捨ててたんですが、初日からそうだったのかな?とか。

 そうそう、舞台の使い方、スカスカでした。中途半端で、すごく勿体なかったです。
 場面ごとのバランスも悪かったし。歌舞伎座の定式舞台と倉庫の劇場の舞台とを交互に見せられてる感じ、とでも言いましょうか。

 歌舞伎座にかかる外部の劇作家の作品って、どれも「やっつけ仕事」に見えます。本当にそうなのか、歌舞伎役者と歌舞伎座のためのホンを書けないのか。どっちにしても外部の人の作品には期待できないってことですよね。
 それと、現代演劇の作家・演出家って、意外に、役者の身体的な能力や特性を見てないんだな~と改めて思いました。今回の芝居に限らず、です。自分のホン、自分のアイディアが第一になっちゃうんですかね。

 なので、

> 歌舞伎の力を発揮できる人の力をもっと借りるとか
> 歌舞伎座で上演できるレベルに、しっかりフォローが必要

というのは、本当にその通りだと思います。
 外部の人気作家を起用したいなら、それなりのプロジェクトチームを立ち上げて準備する、くらいのことをしてほしいです。
 というか、そういう体制で年に1~2本ずつ外部作家の新作を上演していく、というプロジェクトがあってしかるべきですよね。松竹歌舞伎の長期的な戦略として。

 「さよなら公演」、歌舞伎ファンにとっては毎月毎演目が貴重な機会ですものね。よい作品、よい舞台を見せてほしいです。心からそう思います。

投稿: なな(管理人加藤) | 2009.12.15 20:12

あ、ごめんなさい

先ほどの感想は、すべて「大江戸りびんぐでっど」についての感想でした。

失礼致しました

投稿: バケラッタ | 2009.12.15 13:35

ご無沙汰しております

私は舞台稽古を見せていただきましたが・・・

・・・・・・・

これで幕を開けるのーーーweep

やりゃいいってもんじゃないと思いました。
明日、人様に見てもらえるようにするには、どうすればいいか・・などと、私が考えてもしょうがないことは百も承知でも、演劇人としては考えずにはいられない気持ちになり、あまりにもつらく、外に出ました。

舞台の持つ特性もあります。額縁舞台と間口の大きさ。大学で勉強したことを、あらためて思い知らされる感じです。

でも、同時に歌舞伎の持つ力も感じました。
役者の提案一つで、芝居がしまる。
曲を変えると、役者の体が生き返る。

歌舞伎役者としての特性を生かさなければ、歌舞伎役者が今この時期の歌舞伎座でやる必然性がない。

それが生かせないのなら、もっと自分のやりたいことをはっきりさせた上で、歌舞伎の力を発揮できる人の力をもっと借りるとか、松竹も若手を抜擢するのなら、彼の評判を落とすのではなく、彼の特色を生かした上で、歌舞伎座で上演できるレベルに、しっかりフォローが必要でしょう。

歌舞伎座で上演できるレベルって言う言い方も変だけど、今の劇場で見る、最後の芝居となる方も多いわけだし、年配の方の率が高いので、せりふをわかりやすくとか、いろいろありますよねー

と、人様のブログにもかかわらず、止まらなくなって参りましたcoldsweats01

失礼致しました

投稿: バケラッタ | 2009.12.15 13:33

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